韓国人の心情は大昔の儒教の遺物

えー、読み上げましたが疲れた一冊。
何故か読んでいて疲労感有り。
漢帝国”との表題ですが、実は漢の国の制度を支えた儒教の変遷の物語です。
そのせいか、人の名前や主張、行状などが次々に出てくるので、読んでいて疲れます。
読んでいて思った事ですが、漢代初期の儒教の教えが今の韓国民の心情の隅々に染み込んでいる気がしましたね。
“こうあって欲しかった歴史が正しい歴史”であって事実が合致しなければ、事実を変えてしまえ!
嘘も百篇言えば真実になる。
これが今も韓国から日本に突きつけられる“正しい歴史認識”要求です。
慰安婦然り、徴用工然りです。 きっと次の事案も控えているでしょう。
そして目的を達成するならば、どんな汚い方法であっても正しいのだと嘯く。
他人の非ばかりをあげつらって、自己の至らなさは隠しまくる。
人格の卑しさを恥じること無く目一杯に振りかざし、嘘も二股膏薬もやり放題と言うのが、漢代初期の政治に関わりだした儒学者の姿です。
バレなきゃ良いし、バレても構わんというスタイルです。
なにか文大統領や国会議長の口調と重なるように思えます。
あ~ぁ、我らは2000年前の儒学者の遺物を相手にしているのかと思うと幻滅ですね。
儒学者が苦手なのは、権威と腕力です。強者には媚び、諂います。
でも、ちょっとでも人の好い所を見せるとすぐ付け込んできます。
最近韓国政府の要人が米国通いを繰り返しているのは、付け込もうとしているからです。
米国は気が付いているのかな。アンクルサムもお人好しですからね。ははは。